美術館で見覚えのあるどころか、
ん?
これ、うちじゃない??
となった経験はありますか?
私はありました。
2020/11/23まで恵比寿にある東京都写真美術館で開催している
生誕100年 石元泰博写真展 生命体としての都市
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3836.html
展示概要(公式サイトより転載)
東京都写真美術館では、「都市」への視線を核としてシカゴや東京の街、人々の風景やポートレート、建築写真、色彩豊かな多重露光など、ミッドキャリアから晩年に至る作品を中心に写真家・石元泰博の時を超える孤高のまなざしを展覧します。
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3836.html
そのうちの一つのパートに1980-1989年の東京で山手線の各駅を象徴する写真が一枚ずつ展示されているのですが、
目白駅のパートで展示されていたのは祖父母が営んでた銭湯の正面構えを写した一枚でした。
純粋に写真展をみにきていたので、この写真を見た時には、
「自分の目を疑う」というのは文字通りこういう場面のことを言うんだな、と。
しかし、紛れもなくうちの銭湯
銭湯自体は約25年前にたたんでいますが、一目でわかりました。
暖簾が閉まってあるから、開店前からお休みの時かと。
思い出されるのは、
祖父が一生懸命掃除して、いつも艶々な木面の脱衣所
小さな庭とそのまた小さな池
大きな湯船と大きな壁に描かれている大きな富士山
高い天井に響く、洗面器のカラカラする音や、お湯が流れる音
溢れんばかりの蒸気とボコボコと音を立てるジェット風呂
脱衣所の少し湿った足拭きマット
四角い冷蔵庫に整然と並んだ紙パックの飲み物。
そんな光景や感覚が一気によみがえってきました。
オリジナルプリントは到底無理でも、複製コピーでいいから展示会と同じサイズの写真が手に入ったらいいのに。
ちなみに、撮影で使っているのは通称エイトバイテン(8×10)という大型のカメラ
相当なサイズの機材だから、撮影時は目立ちそうですが、祖父に聞いたところそんな記憶はないと言ってました。
いつの間にか現れて、シャッターを切り、いつの間にか去っていく
タイムマシンがあったら見てみたい過去の1ページです
何より、この約2ヶ月の展示会で一体何人の方の目に祖父母の銭湯が映ったかと想像すると本当に心温まりました。
写真の所蔵は東京都写真美術館のようだったので、この写真が多くの人の目に触れる機会が再び来ること、また私もそのうちの一人にまたなれること心底願うばかりです。
その時まで、現在80をとうに過ぎている祖父母にも元気でいてほしいな。
展覧会図録 石元泰博 生誕100年